HISTORY 歴史

建築史にも刻まれる都市の記憶

日本の住宅史上に輝かしい歴史を刻んだ、財団法人「同潤会」の活動期間は大正末期から昭和初期までの短期間ながら、全16件のエレガントな鉄筋コンクリート造集合住宅が建設されていました。青山、中之郷、代官山と次々と展開する建築事業の集大成として、昭和9年、牛込の川田龍吉男爵の広大な屋敷跡に竣工された集合住宅が「同潤会江戸川アパートメント」でした。名称は、敷地の北側を流れる神田川が、かつて江戸川と呼ばれていた史実に由来します。「同潤会江戸川アパートメント」は、同潤会最後の集合住宅で、それまでの15件の建設で得られたノウハウが余すところなく注ぎ込まれ、当時はもとよりその後長らく日本の住宅史において、まれに見る質の高さを誇っていたといわれています。エレベーターやセントラルヒーティングなど、昭和初期には珍しかった最新設備が導入されていたばかりでなく、ロの字型に配された建物や、西洋庭園式の造園が施された中庭のランドスケープデザイン、社交室や食堂まで備えた充実のコモンスペース計画、余裕の広さを設けてつくられた階段室など、コミュニティーの熟成を促す画期的なプランニングが巧みに取り入れられていました。暮らす人の視点に立つことで、高いこころざしが命として宿った住まい、それが「同潤会江戸川アパートメント」。その遺伝子は、新しい住まいにも継承されています。

「同潤会」の集大成

「洋」のモダニズムと「和」の伝統が巧みに融合されたデザイン感覚が取り入れられています。優美なステンドグラスやタイル模様、階段手摺の造形はニューヨーク・アールデコ調の直線と曲線が組み合わされています。ピエト・モンドリアンの影響が感じられる六角形の格子窓など「同潤会江戸川アパートメント」に採用されていたディテールの意匠は、時代の荒波にも色褪せないシンプルで骨太なものと言われています。『アトラス江戸川アパートメント』では、この高水準のデザインセンスが踏襲され、次の時代まで残存しており、状態のよいものは当時のアイテムに手を入れて用いられ、建築史に残る集合住宅に対する敬意が示されています。
写真は「同潤会江戸川アパートメント」(昭和9年・1934年)竣工当時のもの

クラフツマンシップの息づく造形

「東洋一のアパート」と謳われた「同潤会江戸川アパートメント」は、構造はもとより仕上げ材や設備に至るまでヘ当時の先進テクノロジーを集結した高水準のつくり込みが施されていました。『アトラス江戸川アパートメント』にも、その姿勢が可能な限り継承されています。熟練のプロの技術によって、丹念に施工され、アトリエの階段など当時の造形が新たに再現されています。また外壁に採用されているオリジナルタイルは、度重なる試作を経たものとなっています。1枚ごとに微妙な陰影が異なる縄文模様をつけた、素焼き調の素朴な質感には、人の手の温もりを感じることができるようになっています。建物の隅々まで徹底されたクラフツマンシップはいい意味でのこだわりという、かつては当たり前だったものづくりの基本へ立ち返り、妥協を許さず丁寧につくり込まれています。
写真は「同潤会江戸川アパートメント」(昭和9年・1934年)の完成模型
写真は「同潤会江戸川アパートメント」左:階段手摺 中:社交室ステンドグラス 右:食堂ステンドグラス(解体前・平成15年撮影)
※掲載している画像、素材(テキストを含む)などの情報は、分譲当時、竣工時、または当サイト制作時に作成、撮影したものであり、実際とは異なる場合がございます。
※掲載している画像、素材などの情報の一部には、イメージが含まれており、実際とは異なる場合がございます。